Liberal Cat

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2016年12月5日月曜日

夕食後に眠くなる病

夕食後に眠くなることが増えた。これを夕食後に眠くなる病と名付けよう。でもよくよく考えると夕方くらいから眠くなる病とも言えるか。その時間帯に1~2時間寝ると今度は深夜帯に眠れなくなる。今がちょうどそういう時間だ。

日をまたぐと大体は日課の絵の練習をやる。1時間程度。その後はそのまま絵の練習を続けることもあれば、趣味的な情報収集をすることもある。そうしている間に眠気がやって来て布団に潜り込んで寝る。

こういう日々が続くと、大体は睡眠時間が2回にわかれる感じになる。1回目の睡眠が4~5時間。2回目が1~2時間。体に良いのかはわからない。ただ夜に少し眠ると作業が捗る。メリット的にはそんな感じかな。

合計での睡眠時間はそこそこありそう。元々6時間程度の睡眠では辛いので、7時間くらいは寝るタイプだったのも影響していそうだ。寝る時間を惜しいとはあまり考えない方なのも影響しているのかな。個人的には寝ている時に見る楽しい夢は、娯楽としては大変素晴らしいと感じているので、眠ることにマイナスのイメージが無い。今晩もまた良い夢をみたいな。

2016年12月4日日曜日

創作の罠

創作活動をしていると、その多くの時間は技術の習得に当てられる。膨大な時間だ。これが創作活動の中での一番の罠であると感じる。時間を消費することで他のことがやれなくなることでは無い。勿論それも一つのデメリットではあるのだが、ここで私が言いたいことはコミュニケーションの問題である。

複数人で話しながら触れ合いながら行える創作活動なら問題無い。しかし、意外とそういうものは少ないと感じる。私の場合だと絵や3DCGをやる時には、通常それは一人で黙々と行うことが多い。その時間は多くの場合は一人であり、そしてそれは膨大な時間に及ぶのだ。結果コミュニケーションに支障が出る。

これは家族との触れ合いの時間にも大きく影響するが、一番最初に気がつくのはペットなどがいる場合であろう。ペットは多くの場合に寿命が短い。積極的に関わって行かないとお別れの日が直ぐにやって来る。その時になって後悔しても遅いわけだ。もっと大切に関わっておくべきだったと思っても取り返しはつかない。

例えば毎日3時間程度触れ合っていても、きっとそれでも後悔は湧くだろう。実際に創作を真面目に行うと、日々に何時間も練習することが増える。その分、コミュニケーションの密度は下がるわけだ。ぶっちゃけ万単位の時間をやらないと、創作活動は身にならないと思う。しかし、1年は凡そ8760時間しか無いわけだ。

ペットの代表格である。犬猫の寿命は意外と短い。大きな犬は特に短い。情があれば色々と悩みが募る。創作活動は必ずしも生きるためには必要が無い。そうなると取捨選択も発生する。人は普通に何かをするだけも、種々の傷を心に持つものなのかもしれない。

何か良い解決方法があれば良いのだが、私には今のところ思いつかない。

2016年11月26日土曜日

何者でもない自分

創作やその他の何かの活動を開始しようとするのは、何者でもない自分が嫌だからなのかもしれない。全ての人はそれぞれが独立した個人として存在していて、それぞれが他と同じでは無い個性を持つ。そう考えると何者でもない自分なんていう存在は無いのだろうけど、ここでの何者でもないというのは、自分は何を持って存在しているのかという意味合いになる。

最低限生命を維持できる衣食住や医療が事足りれば存在はできる。しかし、それだけでは人というのはあまりに希薄な存在なのだ。自分と世界との対話や表現を通して初めてそこに自分を見いだせると私は考えている。即ち自分の内側にある部分を何かの形で世界に露出させて、それを表現した時に初めて存在を示せるということだ。勿論、その結果返って来るものを受け入れられないとならないが、そこまでやってやっと存在に意味を持たせられるのかもしれない。

私はあまりそれをして来なかった。する機会にも恵まれていなかった。創作の根本にある気持ちは、多分これなんだろうと思う。自分の内側にあるイメージとしては曖昧だけど強く存在するものを、何とか外側に具現化して世界に表現したい。これはどちらかというと、目立ちたいというわけでは無く、記録的な意味合いが強いのかもしれない。自分のDNAを世界に残すような欲求に近いのかなとも感じる。

ここ1年半くらい絵の練習もしているが、正直それほど上達していないので、自分の持つ限界点も感じたりはする。ただ、元々絵を始めた理由が、別に画家や漫画家になろうというものでも無く、自分の内在するものを表現する時に、なるべく具現化の過程を曖昧にさせないために必要だと思った。絵は手段と鍛錬として必要だと思ったから始めたわけだ。

過去にSecond Lifeでモデリングをしていた時に、この内部にあるイメージを形にすることに悩んだ。曖昧なまま外に出すのは大変難しい。3Dの世界では360度あるのが基本で、曖昧だと作る過程で破綻しやすい。もしくは妥協の結果の納得行かないデザインになりやすい。

様々な過去の創作の体験から、表現をするというのはある種の鍛錬が必要なのだと思うようになった。これは私にとってのライフワークになるだろうと感じた。期限は寿命が尽きるまでなんだが、それまでに自分が納得できる形での、心象などの自分の内部世界をアウトプットできるようにしたい。それを成し遂げた時に、きっと何者でもない自分から脱却できているような気がする。

2016年11月22日火曜日

運動メニューをどうするか

ここ最近、運動をどうしようかと思っている。日課の筋力トレーニングをしてきているが、あまり筋力あっても意味ないよなと思い始めている。鍛えて筋力をつけると年齢が行ってから痛むと聞いた。常時あちこちが痛むようなのは辛いなと思ったのもある。そして筋力トレーニングはかなりマゾ気質じゃないと続けるのが辛い。何せ大体が苦痛を伴う訓練なわけだ。筋肉を鍛えるというのは、ギリギリまで筋肉を使い続けないとならない。

個人的に考えている新しい運動は、柔軟体操を主にしたものだ。本当はそこに散歩も含めた方が良いのだろうが、こちらの冬道を歩いていると散歩を続けるのはハイリスクだと感じる。柔軟体操と軽い筋力トレーニングをメインにしようかな。いづれにしても日々何かを続けるのは、感情や体調の影響を強く受けるので意外と難しい。それなので極端に辛いことをしていると続けることが困難になる。

続けることの困難さは、大変すぎると投げ出す可能性があって、楽すぎるとそのままやらなくなる可能性があることだと思う。上手く自分の性格や身体に合わせてバランスを考えないとならない。後は自分の意思だけが背中を押している状況の難しさがある。30秒ドローイングを毎日20分程度行っているが、これだけでもやりたく無い日はやって来る。意外と難しいものだなと毎回感じる。

2016年11月21日月曜日

鉛筆画年内残り16ページ

昨晩数えると年内の鉛筆画の練習ノルマが17枚。できれば12月15日くらいまでには終わらせたいが、そうなるとスケジュール的にかなりきつい。とりあえず、手を動かすかと今日は1枚終わらせた。

1日に何枚も描ける人は凄いと思う。1枚模写をするだけでも何時間かかかる。平均はわからないけど、3から5時間かかるものが多いと思う。目の疲れや精神の消耗も激しいので、連続で描ける時間もそう多くは無い。やはり1日1枚でも大変だとなる。慣れると日に数枚とか描けるようになるのだろうか。

最近またモデリングをしたい気持ちもあるが、とりあえず絵は何事にも優先と考えているので、今冬はあまり3DCGはやらないかもしれない。そこは時間と気持ちの余裕次第ではある。

ネットに500枚模写したら上達するかみたいなのがあった。500枚というのは500ページのことなのか、それとも裏表の1000ページのことなのかわからない。個人的には1000ページを描いてから比較してみたいとは思うのだが、1ページにかかる時間が3~5時間となると、1000ページを描き終えるのが恐ろしく遠い。当初3年以内と思っていたが、どう考えても数千時間かかるなら無理だ。真面目にやって5年から10年だろうか。とても遠い。

まあ、絵の練習はのんびりやるしかない。

2016年11月15日火曜日

墨家

中国古代の墨家思想と自分の価値観が似ているなと読んでいて感じた。全てが同じというわけでは無いが、7~8割方似ていそうな感じがした。きちんとした書物を読んだわけではないから、実際には違う部分も多くあるのかもしれないが、墨家十論を読むと似たような価値観が多いと感じたのであった。

ただ基本の宗教的な部分には相反する価値観もある。私は宗教そのものは否定しないが、自分は既成宗教や新興宗教とはまた違う価値観で生きている。その根本にあるのはそれぞれは自由であるべきだという考えなので、集団というものと行動の規制は理解できない。でも古代のとなると今の価値観とは、そのまま比すのは難しいとは思う。

兼愛の考えは私の根本にある考えにとても近い。非攻の考えも8割は私の考えと似ている。この教えの中の全てでは無いが、価値観的には近いものを感じた。現代の世界を見渡すとまだまだ兼愛の精神は広まっていないと思うので、2200年以上も経ってもまだまだ対立や憎しみがあるのだなと感じる。それでも世の中は以前と比べれば大分ましになってはいるだろうし、後2~3世紀くらい順調に進めばもっと住みよくなっている可能性もあるだろう。